米価格高騰の犯人は誰か──減反政策と政治が仕組んだ「見えない設計図」

猛暑、円安、コストの高騰──ニュースで報じられる理由はいくつもありますが、実際にそれだけで説明できるのでしょうか。
本当にさ…お米の値段はいつさがるの?
なぜ、備蓄米が市場に放出されても値段は下がらず、私たちの家計を圧迫し続けているのでしょうか。
そしてなぜ、米だけが「作れば安くなる」という資本主義の基本ルールから外れているのでしょうか。
え、なになに!?お米っていっぱい作れば安くなるんじゃないの!?
備蓄米はね、『量を出せば値段が下がる』っていう単純な仕組みではないのよね。
今回は、米価を動かし、仕組んできた「犯人」の正体を歴史背景からたどっていきます。
第一章:米価格高騰の背景にある「減反政策」とは?

米の価格と切っては切り離せないのが「減反政策」です。
減反政策って名前はよく聞くけど…結局何を減らす政策なの?
ときは遡ること1971年(昭和46年)。田中角栄総理の下、高度経済成長の熱気がまだ続いていた時代。
日本の政府はコメ余りによる、過剰なコメの価格の暴落を防ぐため、政府は米の市場に直接介入する、「作りすぎを防ぐ仕組み」を導入しました。
この政策の目的は『価格の暴落防止』。
つまり、生産量を調整してお米の相場を守りたかったってこと。
これが、半世紀以上に渡り、2017年まで続いた 減反政策 の始まりです。
減反政策の仕組みと表向きな目的

減反政策は、とてもシンプルな構造でした。
「国が農家に対して米が“多くできすぎないように指示する”。代わりに補助金を払う」といった仕組みです。
それって農家に『お米を作りすぎないでね』ってお願いして、お金を渡すってこと?
作らないほうが補助金もらえるって…逆に変な感じよね。
そしてこのとき、実際にこの調整を現場で担ったのは農協(JA)でした。
戦後、食糧管理制度の下で農産物を政府に集める役割を担ったJAは、その延長で農家への指示や補助金の流れを管理する立場となったのです。
JAは、行政が考えた仕組みを地域で実際に動かす役。
つまり、各地域の現場をまとめて動かす役をになっていたわけ。
この制度には、二つの“キレイな目的”が掲げられていました。
1.農家の生活を守ること
2.米の価格を安定させること
表向きは、農家も消費者も守るための正義の制度として説明されてきました。
うん、ここまでは『正義の制度』って感じする!
しかし、減反に協力する農家には手厚い補助金はやがて政治家にとって確実な“票田”となっていくのでした。
ねぇねぇ、ところで票田って何?
『票田(ひょうでん)』っていうのは、選挙のときに特定の候補者や政党へ多くの票が集まりやすい地域や業界のことを指すの。
ん?なんか雲行きあやしくない?
『この人たちに気に入られると選挙が有利になる』っていう場所やグループを増やしていったってことだよね?
そういうこと。
政治と関わりのある裏側
現場でその調整を担ったJAは、中継点として機能し、農家の声や支持を政治と結びつけていきました。
その結果、政治家はJAと農家の支持を獲得し、JAの組織力をさらに高めました。
農家 → JA → 政治家…。
『農家保護』がそのまま政治力につながる構図が固まっていったってこと。
こうして「農家保護」と「政治利用」が絡み合う一体構造が完成し、米価が下がらない最大の要因が作られたのです。
なるほど…ということは…。
──第一の“犯人”は、減反政策とそれを支えたJAの仕組みそのものにあるのです。
「米の価格はJA農協によって操作されている」
出典:元農林省 東京大学博士 山下一仁『コメ高騰の真相』
第二章:減反政策廃止後も続く“米価操作”の構造

1971年から続いた減反政策は、2018年についに廃止されました。
「生産調整を政府が強制するのは時代遅れだ」という理由からです。
え、廃止されたならお米の値段下がってもよくない?
ですが、問題なのは今もJAを中心とした“自主的な生産調整” が行われていること、実質的には政府の減反政策が“形を変えて”存続しているということです。
つまり『お米を作りすぎないように抑える』仕組みは実質的に残っているの。
資本主義の常識からすれば「生産が増えれば価格は下がる」はずです。
ところが米だけはその逆で、増産が歓迎されず、「作りすぎないよう抑える仕組み」が続いています。
作れるだけ作るではダメなの? 足りないから作るって基本中の基本だと思うんだけど…。
そんなに簡単じゃないのよね。
コメの価格と政治の関係性

「農家を守ることは、票田を守ること」
──この構図は、減反政策が始まった1970年代から今日までほとんど変わっていません。
農業団体の票は政治家にとって強力な支持基盤です。米価や制度を根本から見直すことは、選挙結果そのものに影響を及ぼしかねません。
消費税は議論されるのに『米価そのもの』には誰も触れないのよ。
そのため、政策が廃止されても実際には政治と農業の関係は切り離されず、構造は温存され続けているのです。
政策よりも『票』を守りたいから、米価に手がつけられない?そんなことがあっていいの!?
2024年以降、米が高くて「買えない」といった声が相次いでいます。
それにもかかわらず、「食料品の消費税をゼロに」といった法案が検討されることはあっても、主食であるコメ価そのものを引き下げようと、米価そのものに切り込む政党は一つもありません。
第三章:米価の裏にある戦後政治とアメリカの影
GHQと戦後農業政策
日本の米政策を語る上で、避けて通れないのが 戦後の占領政策 です。
敗戦直後、GHQ(連合国軍総司令部)は日本を「農業国家」から「工業国家」へ転換させる道筋を描きました。
表向きは「食糧の安定供給」や「農地改革による民主化」でしたが、その裏には日本を二度と軍事大国にさせないという明確な狙いがありました。
え、お米の政策って『国づくりの方向性』と繋がっていたの?
『食べ物の仕組み』って、実は国家の力を調整する道具でもあったわけね。
コメの生産や流通を国家の強い管理下に置き、農業を政治と結びつけた仕組みの根本的構造はここからが始まりです。
3S政策と情報統制
戦後日本には「3S政策(スポーツ・スクリーン・セックス)」が導入されています。
これには国民の関心を娯楽に向けさせ、政治的関心を薄める狙いがあります。
えっ…それ本当にやってたの?
ちょっと怖いんだけど…でも、そういう背景を知ると時代の流れの見え方も変わってくるね。
さらに、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)により「戦争責任」を日本人自身に刷り込み、従順な国民を育てる仕組みが敷かれました。
これは「戦争責任」を日本人に強く意識させ、占領政策への抵抗を抑える仕組みです。
自分たちが悪かったんだって思わせ続けるなんて、さすがに心理操作が過ぎるよ!
戦後直後、日本の食糧政策はGHQの管理下で進められ、農地改革や食糧管理制度なども外部からの枠組みにより整えられました。
独立回復後、制度は日本政府の裁量に移りましたが、その制度設計の多くは占領期に描かれたものを引き継いでいます。
つまり、現在も生きているこの仕組みって、実は占領期のあいだにほぼ形ができあがっていたってこと。
それにより、農業や米の制度は市場の自由競争だけでは動かず、むしろその設計図を色濃く引きずる仕組みになってしまったのです。
“作れば安くなる”が通用しない理由が、だんだん見えてきた気がする…!
食品自給力の制約と輸入米

その象徴が、米の輸入自由化です。1993年以降、日本はミニマムアクセス米として毎年一定量の輸入を義務づけられてきました。
これは『国際ルールで決まっている米の量を輸入しなきゃいけない』という仕組み。
日本だけの判断では止められないの。
『やっぱり国産のほうがいいから、輸入やめたー!』って簡単にできないんだね。
近年、国内の米価急上昇を背景に、アメリカ産を中心とした輸入の増加が取り沙汰されています。
ですが、アメリカからのコメ流入もこの「構造的な縛り」がある限り逃れることはできないのです。
ニュースでよく見る『輸入米増えるかも』って話には、こんな背景があったんだね。
日本だけで米の輸入をコントロールするのは難しくて、どうしても『決められている輸入枠』に縛られてしまうのよ。
戦後の日本4分割統治計画

終戦直後、日本をアメリカ・イギリス・中国・ソ連の4か国で分割統治する案が実際に存在していました。
えっ、そんな計画があったの?
しかし実際には、アメリカを中心とするSCAP(連合国軍総司令部)が本州・四国・九州・北海道を一括で管理する体制がとられ、ゾーン分割の必要性は薄れていきます。
さらにソ連による北海道進駐案もアメリカ・ソ連交渉で退けられ、結果的に日本はドイツのような明確な分割統治を免れました。
もし本当に分割されていたら、農政も地域ごとにバラバラになっていたかもしれないわね。
コメの価格と繋がる 戦後から現在までの歴史背景
この『分割されなかった』という事実は、現在の米価や農政の構造にも影を落としています。
戦後、日本はアメリカ主導の占領下で農地改革と農協体制を整備し、その仕組みが全国一律に広がりました。
たしかに『1か所の仕組みがそのまま全国へ』って考えると、今の制度の形にもつながってきそう…。
つまり、今日『なぜ米価だけが資本主義の原則から外れているのか』という違和感の背景には、“統一国家として外部設計を受け入れた日本”が、その仕組みを半世紀以上にわたって固定化してきた歴史があるのです。
『米だけが特別』な理由は長い歴史の積み重ねから生まれたのね。
──犯人正体の根源にあるのは、戦後日本を設計した“アメリカの影”です。
描かれた設計図は、独立後も多くの制度の土台となり、農政や米価の仕組みにも大きな影を落としているのです。
歴史の流れって、現代の生活に思ったよりガッツリ影響してるんだね…。
第四章:米は単なる商品ではなく“文化”である

日本には古来より「身土不二(しんどふじ)」という言葉があります。
人は生まれ育った土地、その季節にとれるものを食べることが最も自然であり、健康にもつながる──という教えです。
『その土地のものを食べると体に合う』って、なんだかほっとするよね。
日本の風土の中で育まれてきた米は、日本人の体質に合った主食であり、単なるカロリー源ではありません。
減反政策や米価の問題を超えて、コメは暮らしと健康を支える“文化”そのものなのです。
お米って『日本の暮らしそのもの』に根っこがある存在ね。
最終章:米価格高騰の犯人を超えて──私たちの選択

米の値段を動かしてきたのは、減反政策や政治の思惑、そして戦後から続くアメリカとの構造的な関係でした。
けれど本当に大切にしなくてはいいけない問いは、これから私たちがどう選ぶかにあります。
コメをただの商品として安さだけで判断するのか。
それとも、文化や暮らしを支える存在として守り継ぐのか。
土地と人をつなぐ食べものは、社会のあり方をも形づくります。
いま私たちに問われているのは、
──「米をどう守り、どう食べ、どんな未来をつくるのか」。
その答えは、国や政治ではなく、消費者である私たち一人ひとりの選択、声を上げられるかに、委ねられています。
『誰のせいなの?』から、『これからどうする?』って視点で考えないといけないね。
お米の未来は『私たちの日々のお米の選び方』から変えていけるわ!
今夜からは『米の歴史』を振り返りながらひとくち一口噛みしめて食べるよ!